Mr.Children歌詞の意味を読み解く

ファン歴30年。歌詞の奥に隠れているものを勝手に想像して解説するブログです

Mr.Children『Youthful Days』歌詞の意味と解釈-爽やかな青春ソングの裏にあるもの

カラオケで何気なくこの曲を歌ったことはありませんか?

疾走感あふれるメロディ、「Youthful Days」という青春を感じさせるタイトル。

一見すると、若いカップルの初々しいラブソングです。

でも僕は20年前、女性の前でこの曲を熱唱して、後で歌詞の意味に気づいて顔から火が出るほど恥ずかしい思いをしました。

この曲、表面的には爽やかなラブソングです。

でも一枚皮を剥くと、かなり生々しい「●●●」を描いている。

そしてさらにもう一枚剥くと――そこには、人間の本質に迫る普遍的なテーマが隠されているんです。

今日は、この三層構造を順番に解き明かしていきます。

発売日:2001年11月7日

収録アルバム:『It's a Wonderful World』(10thアルバム)

タイアップ

  • フジテレビ系ドラマ「アンティーク 〜西洋骨董洋菓子店〜」主題歌

セールス記録

  • 初週売上:35.3万枚
  • 累計売上:69.9万枚

特記事項

  • 仮タイトルは「水溜まりとサボテン」
  • 歌詞は金城一紀の小説『GO』の主人公とヒロインをイメージ

 

【第一層】爽やかなラブソング――水たまりに飛び込む二人

にわか雨が通りすぎてった午後に
水溜まりは空を映し出している
二つの車輪で 僕らそれに飛び込んだ
羽のように広がって 水しぶきがあがって
君は笑う 悪戯に ニヤニヤと
僕も笑う 声を上げ ゲラゲラと

曲は、雨上がりの水たまりに二人で飛び込むシーンから始まります。

バイクか自転車で水たまりに突っ込んで、水しぶきを上げて笑い合う。

なんて無邪気なんでしょう。

青春映画の一コマみたいな光景です。

大人になったら、水たまりなんて避けて歩きますよね?

スーツが濡れる、靴が汚れる、周りの目が気になる。

そんな計算が自然と働いて、避けて通る。

でもこの二人は違う。何も考えずに飛び込む。

この「計算のない衝動」が、この曲のキーワードです。

後で効いてくるので、覚えておいてください。

 

そしてサビでは――

胸の鐘の音を鳴らしてよ
壊れるほどの抱擁とキスで
あらわに心をさらしてよ
ずっと二人でいられたらいい

「君を抱いたら」「壊れるほどの抱擁とキス」。

まあ、恋人同士のイチャイチャですよね。

「ずっと二人でいられたらいい」なんて、青春ラブソングの王道です。

ここまでなら、何も問題ない。普通にカラオケで歌える曲です。

でも、2番の歌詞を読むと、様子が変わってくるんです。

 

【第二層】実は性行為を描いている――サボテンの赤い花

"サボテンが赤い花を付けたよ"と言って
"急いでおいで"って僕に催促をする
何回も繰り返し 僕ら乾杯をしたんだ
だけど朝になって 花はしおれてしまって
君の指 花びらを撫でてたろう
僕は思う その仕草 セクシーだと

サボテンの赤い花。

「急いでおいで」という催促。

「何回も繰り返し」。

「朝になって」「しおれて」。

「君の指」が「花びらを撫でてた」。

そして「セクシーだと」。

...あれ?これって。

ファンの間では、この2番の歌詞は明らかに「性行為」を暗喩していると長年解釈されてきました。

サボテンの花=性器(もしくは女性そのもの)の隠喩。

「何回も繰り返し」は行為の反復。

「朝になって」は一晩中。

「しおれて」は行為の後。

そう考えると、急に全体の風景が変わってきませんか?

1番のサビに戻ってみましょう。

胸の鐘の音を鳴らしてよ
壊れるほどの抱擁とキスで
あらわに心をさらしてよ

「壊れるほどの抱擁」。

「あらわに心をさらす」。

これ、単なるハグとキスの話じゃないですよね。

そしてコーラス部分――ここが決定的です。

生臭くて柔らかい温もりを抱きしめる時
(I got back youthful days, I got back youthful days)
くすぐったい様な乱暴に君の本能が応じてる時
(I got back youthful days, I got back youthful days)
苦しさにも似た感情に もう名前なんてなくていいんだよ
(I got back youthful days, I got back youthful days)
日常が押し殺してきた 剥き出しの自分を感じる

「生臭くて柔らかい温もり」。

「くすぐったいような乱暴に君の本能が応じてる時」。

もう、明らかですよね(笑)。

この曲は、性行為を描いている。かなり生々しく、具体的に。

だから僕は、女性の前で熱唱して恥ずかしい思いをしたわけです。

でも、ここで終わらないんです。

桜井さんはそんな単純なことを歌う人じゃない(はず)。

 

【第三層】なぜ「性行為」で描く必要があったのか

「なるほど、エッチな曲だったのか・・・」

そう理解して終わりにすることもできます。

でもここで重要な問いが浮かび上がります。

なぜ、桜井さんは「性行為」という具体的で生々しいモチーフを選んだのか?

それは、性行為こそが、「本能の解放」を描く最も直接的で強力な方法だからというのが僕の解釈です。

もう一度、コーラス部分の最後の一行を読んでみましょう。

日常が押し殺してきた 剥き出しの自分を感じる

この一行が、すべての答えです。

 

日常という名の檻――「ちゃんとした大人」を演じる毎日

僕たちは毎日、「ちゃんとした大人」を演じています。

会社では笑顔を作り、理性的で冷静な判断をし、感情をコントロールする。

SNSでは当たり障りのない投稿をして、「普通の人」を装う。

「名もなき詩」でいう「自分らしさの檻」みたいなやつですね。

でも、本当の僕たちはもっと本能的な生き物なんです。

喜怒哀楽をむき出しにしたい。

計算なんてせずに、衝動のままに動きたい。

誰かと本気でぶつかり合いたい。

そういう「本能的な部分」を、僕たちは社会のルールに合わせて押し殺してきました。

では、その「押し殺してきた本能」が最も解放される瞬間はいつか?

性行為です。

 

性行為は、社会的な自分を脱ぎ捨てる行為。

肩書きも、体裁も、計算も、すべて脱ぎ捨てる。

「生臭くて柔らかい」――この生々しい表現に注目してください。

清潔で、スマートで、理性的な言葉じゃない。

動物的で、本能的で、生物としての人間を表す言葉です。

「くすぐったいような乱暴に君の本能が応じてる時」――ここでも「本能」という言葉が出てきます。

理性じゃない。計算じゃない。本能。

「壊れるほどの抱擁とキス」――優しく、穏やかに、じゃない。壊れるほど、強く。

それは、日常で抑圧されてきたものを一気に解放する行為だからです。

ダムが決壊するように溢れ出す。

普段は理性という壁で堰き止めているものが、一気に溢れる。

だから「壊れるほど」なんです。

そしてここで、冒頭の水たまりのシーンが意味を持ってきます。

 

水たまりに飛び込むことと、性行為は同じ――「計算のない衝動」

ここで、冒頭の水たまりのシーンを思い出してください。

子供のように無邪気に、計算なく飛び込む。

そして2番では、大人の本能を解放する。

一見、まったく違う行為に見えますが、どちらも「日常の自分を脱ぎ捨てる瞬間」なんです。

水たまりは「子供に戻る衝動」。性的な関係は「動物に戻る衝動」。

どちらも、社会的な自分を捨てて、剥き出しの自分になる行為――

だから「I got back youthful days」なんです。

若さとは、年齢じゃありません。計算のない、本能のままの自分。

大人になって失った「衝動のままに生きる力」を、この関係の中で――この人との性的な結びつきの中で――取り戻している。

「剥き出しの自分」になれる。

水たまりに飛び込める衝動。計算しない本能。恥ずかしがらずに笑える無邪気さ。

それらを失って。でも、この人との間でだけは、それが解放される。

だから「I got back youthful days(若さを取り戻した)」なんです。

これは「若い頃に戻った」じゃなくて、「若さを取り戻した」という現在進行形。

一度失ったものを、今、取り戻している。

 

最後に 

この曲は、三つの顔を持っています。 

表層では、爽やかなラブソング。

一枚剥くと、生々しい性的な曲。

さらに剥くと、人間の本質に迫る哲学的な曲。 

そして、この三層は矛盾していません。

性的な描写は、本能の解放を描くために必然だったんです。

日常が押し殺してきた 剥き出しの自分を感じる

この一行に、すべてが詰まっています。