
いきなりですが、今回は前置き抜きにして、結論からお話しします。
この曲の凄さを一言でいうと
「3つの層が同時に重なり合い、贈り手と受け手が何度も入れ替わる、奇跡のような楽曲」
『GIFT』を聴いて、人によって全く違う感想を持ちます。
「オリンピックの応援歌だ」
「いや、人生そのものの歌だ」
「これはミスチルからファンへの感謝の歌だ」
実は、どれも正解です。
それは解釈が分かれているんじゃない。3つの層が同時に存在しているからなんですね。
第1層:オリンピック(アスリートへの応援歌)
第2層:人生(すべての人への応援歌)
第3層:ファン(ミスチルとリスナーの感謝の往復)
この3つの視点が、一つの歌詞の中で重なり合い、互いに矛盾せずに響いている。
2008年、北京オリンピックのNHK公式テーマソングとして発表された『GIFT』は、こうして時代を超える名曲になりました。
なぜ一つの曲が、ここまで多層的な意味を持つのか?
一緒に、その秘密を解き明かしていきましょう。
第1層:オリンピック ― アスリートへの応援歌
一番きれいな色ってなんだろう?
一番ひかってるものってなんだろう?
僕は探していた 最高のGIFTを
君が喜んだ姿をイメージしながら
元々、この曲はオリンピックのために書かれました。
「君」はアスリート。
「GIFT」は、彼らが観客に贈る最高のパフォーマンス。
金メダル、銀メダル、銅メダル――どの色が「一番きれいな色」なのか?
でも桜井さんは問いかけます。そもそも順位が、価値を決めるのか?と。
長い間 君に渡したくて
強く握り締めていたから
もうグジャグジャになって 色は変わり果て
お世辞にもきれいとは言えないけど
何年も何年も練習を重ねて、オリンピックという舞台に立つ。
その過程で、身体は傷つき、夢は何度も挫折しかけ――理想とは程遠い、ボロボロの状態。
でも、その「グジャグジャ」こそが本物なんです。
完璧な演技じゃなくても、金メダルじゃなくても――そこまでの努力と想いこそが、最高の贈り物。
これが第1層。アスリートへの応援歌。
でも、ここで終わらないのが『GIFT』の凄さです。
第2層:人生 ― すべての人の物語
「白か黒で答えろ」という
難題を突きつけられ
ぶち当たった壁の前で
僕らはまた迷っている白と黒のその間に
無限の色が広がってる
ここです、この色は金、銀、銅というメダルだけでなく、自分たちの人生のも重なります。
人生は、勝ち負けじゃない。
成功と失敗の間に、無数のグラデーションがある。
就職できなかった、結婚できなかった、夢が叶わなかった――それは「負け」なのか?
いや、違う。
その過程で得たもの、出会った人、感じた想い――それらすべてが、あなただけの色。
君に似合う色探して やさしい名前をつけたなら
ほら 一番きれいな色
「一番きれいな色」は、金メダルの色じゃない。
あなたの人生そのものの色。
誰とも比べる必要のない、あなただけの色。
この瞬間、「君」はもうアスリートだけを指していません。
人生を歩むすべての人――仕事で悩む人、恋愛で傷ついた人、夢を諦めた人。
第1層のオリンピックソングが、第2層の人生讃歌へと自然に広がっていきます。
そして、ここからさらに深い層へ。
第3層:ファン ― 贈り手と受け手の逆転
今 君に贈るよ 気に入るかなぁ? 受け取ってよ
君とだから探せたよ 僕の方こそありがとう
ここで、決定的な逆転が起きます。
贈っているはずが、受け取っていた。
この「君」は、もう誰なのか?
表面的には、アスリートであり、人生を歩む誰かです。
でも、もう一つの解釈があります。
「君」=ファン。
「僕」=Mr.Children。
Mr.Childrenは、ファンに音楽という「GIFT」を贈り続けてきました。
でも、実は――
ファンの存在があったからこそ、Mr.Childrenは走り続けられた。
知らぬ間に増えていった荷物も
まだなんとか背負っていけるから
君の分まで持つよ だからそばにいてよ
それだけで心は軽くなる
この「君」は、誰か?
ファンです。
Mr.Childrenは、ファンの期待や想いを「荷物」として背負ってきました。
でも、その荷物があるからこそ、走り続けられた。
「だからそばにいてよ」――これは、ファンへの切実な願い。
そして――
僕は抱きしめる 君がくれたGIFTを
いつまでも胸の奥で ほら ひかってるんだよ
最終的に、贈り手と受け手が完全に入れ替わります。
Mr.Childrenがファンに贈っていたはずの曲が、実はファンからMr.Childrenへの贈り物だった。
30年間、ライブに来てくれたファン。
CDを買い続けてくれたファン。
どんな時も応援してくれたファン。
その存在こそが、Mr.Childrenにとっての「GIFT」だった。
これが第3層。ミスチルとファンの、感謝の往復。
3つの層が同時に重なり合う奇跡
ここまで読んで、気づいたかもしれません。
この3つの層は、別々に存在しているわけじゃない。
同時に、重なり合って存在しています。
一人のリスナーが『GIFT』を聴く時:
- オリンピックを見ながら、アスリートへのエールとして聴く
- 自分の人生を重ねて、励ましの歌として聴く
- ミスチルへの感謝を込めて、ファンレターのように聴く
すべてが正解。すべてが同時に存在している。
降り注ぐ日差しがあって
だからこそ日陰もあって
そのすべてが意味を持って
互いを讃えているのなら
オリンピックという「特別」があるから、日常という「普通」が輝く。
ミスチルという「贈り手」がいるから、ファンという「受け手」が存在する。
でも、その関係は固定されていない。
いつの間にか、入れ替わっている。
それが、『GIFT』の本質。
これが、『GIFT』という曲の奇跡です。
なぜ「検索しても答えが定まらない」のか
だから、あなたが「Mr.Children GIFT 意味」と検索しても、記事ごとに違うことが書いてあるんです。
ある記事は「オリンピックソング」と言い、
ある記事は「人生讃歌」と言い、
ある記事は「ファンへの感謝」と言う。
全部正解なんです。
なぜなら、この曲は3つの層を持っているから。
どの層に焦点を当てるかで、解釈は変わる。
そして、その3つの層は互いに矛盾しない。むしろ、補完し合っている。
白と黒のその間に
無限の色が広がってる
この歌詞は、曲の解釈そのものについても語っているのかもしれません。
「これはこういう意味だ」と決めつけるのではなく、その間に無限の解釈が広がっている。
それぞれのリスナーが、それぞれの色を見つける。
それこそが、『GIFT』という曲の本質です。
さいごに
自分自身GIFTをNHKのオリンピックテーマ曲として聴いていて最初は「いい曲だな」くらいとしか思っていませんでした。
でも人生を重ねるにつれ、「これは人生哲学か?」と思い、その後LIVEで実際に聴くうちに「ミスチルとファンとの関係を歌っているのでは?」と。
これは完全に憶測ですが、桜井さん自身、オリンピックのテーマとして書いた曲がいつの間にかファンとの関係性を歌った曲に昇華したのではないかと・・・勝手に思うところです。
でもこの曲の凄さはそこにあると思います。
GIFT…時代を超えた名曲です。