Mr.Children歌詞解釈記

ミスチルファン歴30年。

【感動のバラードじゃない、諦めの歌】Mr.Children「しるし」歌詞の意味・解釈

この曲、長いあいだ「最高のラブソングだなぁ」と思って聴いてきました。

それは、今も変わりません。

でも——桜井さんがリスザルを亡くして、おんおん泣きながら書いた、という話を知って。

そこから、もう一つの聴こえ方が生まれた。

言葉の通じない相手を愛すること。

それがこの曲の出発点だと知ってから、歌詞の聞こえ方が、ちょっとずつ違ってきます。

左脳に書いた手紙を、捨てる

どんな言葉を選んでも
どこか嘘っぽいんだ
左脳に書いた手紙
ぐちゃぐちゃに丸めて捨てる

左脳=理論。

愛を説明しようとするほど、本当のことから遠ざかっていく感じ、わかる気がするんですよね。

言葉にした瞬間に、何かが死ぬ。だから、捨てた。

考えてみれば、相手はリスザルです。

言葉は通じない。

説明する言葉なんて、最初から意味がない。

「左脳に書いた手紙」を捨てるしかなかったのは、そういうことなのかもしれません。

「半信半疑」という予防線

「半信半疑=傷つかない為の予防線」を
今、微妙なニュアンスで
君は示そうとしている

全力で信じて、全力で裏切られたら、立ち直れない。

だから、ちょっとだけ疑っておく。

でもこれ、弱さじゃないと思うんですよ。

疑いながら手放せない状態って、100%信じるよりしんどい。

そのしんどさを続けていられること自体が、本気の証拠な気がして。

「面倒臭い」の総量が、愛の総量

面倒臭いって思うくらいに
真面目に向き合っていた

どうでもいい相手のことは、面倒くさいとも思わないんですよね。

無関心になるだけで。

機嫌を読んで、返信に悩んで、仲直りの言葉をひねり出す。

全部、面倒くさい。

でも、その面倒くさかった時間の総量が、そのまま愛の総量だったりする。

記念日より、小刻みに

カレンダーに記入したいくつもの記念日より
小刻みに 鮮明に 僕の記憶を埋めつくす

観光地の景色より、帰り道の助手席で寝てる寝顔のほうが、鮮明に残ってたりする。

「小刻みに」という言葉の正確さが、好きなんですよね。

記念日って、実は記憶に残りにくい。

特別すぎて、逆に輪郭がぼやける。

本当に残るのは、名前もつかない、小刻みな日常のほうなんです。

「どうせ愛してしまう」

共に生きれない日が来たって
どうせ愛してしまうと思うんだ

「どうせ」。普通は、諦めの言葉ですよね。

でもここでは、違う。

頭で「忘れよう」と決めても、心は勝手に動いてしまう。

重力みたいなもので。

「どうせ愛してしまう」は、降参の言葉なんだけど、なんか清々しいんですよね。

言葉の通じないリスザルを、それでも愛してた。

その出発点が、そのままこの曲の結論になってる。

理屈じゃないんですよ、たぶん、最初から。

さいごに

だからこれは、感動のバラードじゃないと思っています。

受け入れてしまった人の歌。抗わないと決めた人の歌。

——で、ここからは、僕の個人的な聴き方の話です。

実は、「ダーリン」のところを、亡くなった愛猫に変えて聴いてみたことがあるんです。

驚くほど、泣けた。

恋愛の歌だと思っていたものが、命の歌に変わる瞬間がある。

最初は、自分が勝手にそう聴いてるだけかと思ってました。

深読みというか、こじつけというか。

でも、後で知って、ハッとしたんです。桜井さん自身が、こう語っていました。

死んだ者への言葉に聴こえすぎるところは、誰もが共感しうる恋愛の歌に聴こえるよう、自分の気持ちをコントロールしつつ書いていたかもしれない

つまり、僕が「愛猫に変えたら泣けた」のは、偶然でも、こじつけでもなかったんですよね。

桜井さんは、最初から、そう聴けるように作っていた。

リスザルへの挽歌を、誰もが自分の大切な存在を重ねられる形に、わざと開いておいた。

だから、恋人にも、ペットにも、親にも、もう会えない誰かにも、変換できる。

「しるし」って、特定の誰かの歌じゃないんです。

聴く人が、自分の「ダーリン」を入れるための、器なんですよね。

それが「しるし」の本質なのかもしれない、と、今は思っています。