ミスチル歌詞解釈ブログ ― 言葉の奥に、答えはある。 ―

ミスチルの歌詞に込められた想いやことばの奥深さを、ちょっと深く掘り下げて考えるブログです。ときどきエッセイ風にも綴っています。

ミスチル『HANABI』の歌詞に隠された三重の意味とは?──消えゆく光に、僕たちはなぜ惹かれてしまうのか

 

はじめに聴いた時は、気づかなかった

最初にこの曲を聴いたのは、たしか20代の頃。

正直、そのときは「人生について歌ってるんだな」くらいにしか思っていませんでした。

どこか他人事のような気がして、あまり深く聴いていなかったんです。

でも40代になって、ふとした瞬間に——確か洗濯物をたたんでいた時だったかな——この歌が胸にすっと入り込んできました。

「あれ?こんな歌だったのか…」

思わず手を止めて、そう呟いていた自分がいました。

『HANABI』って、ただの応援歌じゃないんですね。

生きることに迷い、立ち止まってしまった人に、"問いを手放さないで"とそっと語りかけてくる歌でした。

その問いの一つひとつが、やがて"祈り"へと変わっていく。

その静かな変化こそが、この曲の本当の美しさなんだと思います。

「値打ち」という言葉に込められた想い

「どれくらいの値打ちがあるだろう? 僕が今生きているこの世界に」

なぜ「価値」や「意味」じゃなくて「値打ち」だったんでしょう?

最初は何となく語感の問題かと思っていました。

でも、きっと違うんですよね。

"値打ち"という言葉には、どこか現実的な響きがあります。

世の中で生きる自分の「位置」を問われているような。

仕事帰りにスマホを見ていると流れてくる「あなたの市場価値診断」みたいな広告に、なんとなく胸がざわつく。

あの感覚に、少し似ているかもしれません。

でもこの歌詞は、愚痴や弱音じゃないんです。 むしろ、今を生きる私たちにとって、とても切実な問いなんだと思います。

「この働き方でいいのかな?」「これが本当に望んだ人生なのかな?」

仕事に疲れ果てて、帰りの電車の窓に映る自分の顔を見て「これが私なのか?」とふと立ち止まる瞬間。

誰にでもあると思うんです。

大人になって失ったものたち

「手に入れたものと引き換えにして 切り捨てたいくつもの輝き いちいち憂いていられるほど 平和な世の中じゃないし」

この部分が、個人的にはとても胸に響きます。

大人になるということは、何かを得るために何かを失うこと。

就職を選んだから諦めた夢。

結婚を選んだから手放した自由。

安定を選んだから見送った冒険。

「輝き」という言葉選びが絶妙だと思います。

「大切なもの」でも「思い出」でもなく「輝き」。

かつて光り輝いていた何かが、今は見る影もない。

そんな喪失感を、一つの言葉で表現しているんですね。

若い頃は、「いつか全部手に入る」と本気で思っていました。

でも、人生はそう甘くない。

夢の仕事を選んだら、収入は不安定。

安定を取れば、冒険は遠ざかる。

恋愛も、結婚も、仕事も。

選ぶたびに何かを失って、でもそれをいちいち嘆いている暇もなくて。

そうして過ぎていく日々に、私たちは慣れていく。

けれど——

この歌詞は、そんな慣れをそっと壊してくれるんです。

「本当は、あなたにも輝いていた時間があったんじゃない?」と。

「それを、ちゃんと覚えてる?」と。

「君」って一体誰なんでしょう?

「君がいたらなんていうかなぁ」

この「君」、一体誰なんでしょうか?

最初は「恋人」や「パートナー」だと思って聞いていました。

でも歌詞全体を見渡すと、この「君」の正体が意図的に曖昧にされていることに気づきます。

今の恋人、過去の恋人、亡くなった人、理想の相手、未来の誰か——。

桜井さんは敢えて「君」の正体を明かしていません。

なぜでしょうか?

それは聞き手それぞれが、自分にとって最も大切な「君」を当てはめることができるからです。

この曲の射程距離を一気に広げる、計算された曖昧さなんですね。

この「君」という装置があるからこそ、『HANABI』は多くの人の心を掴むのかもしれません。

花火に込められた三つの意味

「決して捕まえることの出来ない 花火のような光だとしたって もう一回 もう一回 僕はこの手を伸ばしたい」

ここがこの曲のハイライト。

まるで祈るように繰り返される「もう一回」という言葉。

この繰り返しに、私たちはなぜこんなにも胸を打たれるのでしょう?

「花火」という比喩には、実は三つの意味が重なっています。

儚さの象徴

一瞬で消えてしまう美しさ。これは誰でも気づく表面的な意味。

祭りの記憶

花火大会は「特別な夜」「非日常」「大切な人との思い出」を象徴します。

夏祭りで見上げた花火と、隣にいた人の横顔。

そんな具体的な記憶を呼び起こす装置として機能している。

願いの形

これが一番深い意味。

花火って、実は打ち上げる瞬間に願いを込めるものなんです。

夜空に向かって放たれる光は、届くことのない「祈り」の象徴でもあります。

つまり「花火のような光」は、「儚い美しさ」であり「特別な思い出」であり「届かない願い」でもある。

この三つの意味が、歌詞に奥行きを与えているんです。

不器用でも、それでいい

「考えすぎで言葉に詰まる 自分の不器用さが嫌い でも妙に器用に立ち振舞う自分は それ以上に嫌い」

「器用に立ち振舞う自分はそれ以上に嫌い」

2000年代の就職活動では「コミュニケーション能力」が最重要項目となり、「空気を読む」「器用に立ち回る」ことが美徳とされ始めました。

でも桜井さんは、そんな時代の風潮に対して静かに異議を唱えています。

この一言で、「器用さ至上主義」への違和感を表明している。

桜井さんはこう言ってくれているような気がします。

「器用に生きることが正解じゃない。不器用でも、誠実であろうとする姿のほうが、よほど尊い。」

それは叫びでも批判でもなくて、ただ「大丈夫だよ」と隣でそっと肩をたたくような、やさしい言葉なんです。

水のような心

「滞らないように 揺れて流れて 透き通ってく水のような 心であれたら」

この「水」の比喩、実は具体的な情景が隠されています。

岩にぶつかっても争わず、淀むことなく流れ続ける水。

透明で、周りの景色を映し出しながら、それでも自分の流れを失わない。

これは単なる「心の在り方」の話じゃない。

人間関係の理想像を描いているように感じます。

誰かとぶつかっても、恨みに思わない。

過去の出来事に執着しない。

でも自分の本質は失わない。

40代になって人間関係に疲れた時、この歌詞が妙に心に響くのは、きっとこの「水のような関係性」に憧れるからなんでしょうね。

問いの変化に込められた想い

この曲の最も巧妙な仕掛けは、冒頭と最後の問いの違いです。

冒頭の問い(内向きの問い)

「どれくらいの値打ちがあるだろう? 僕が今生きているこの世界に」

これは「自分」に向けられた問い。「私の人生に意味はあるのか」という内省的な疑問。

最後の問い(外向きの問い)

「臆病風に吹かれて 波風がたった世界を どれだけ愛することができるだろう?」

これは「世界」に向けられた問い。「この不完全な世界をどれだけ愛せるか」という能動的な問いかけ。

自分への問い → 世界への問い

この変化が、この曲の核心なんです。

自分を責めることから始まった思考が、やがて世界を受け入れようとする意志へと転換していく。

これは単なる「成長」の物語じゃない。

愛する人の存在によって視点が変わった証拠なんです。

「どれだけ愛することができるだろう?」

この一文には、答えはありません。

でも、"問い続けること"が、すでに祈りになっている。

最後に

『HANABI』は一見、人生の意味を問う普遍的な歌に見えます。

しかしその奥には、緻密に計算された言葉選び、三重構造の比喩、時代性を反映した価値観の問い直し、祈りの構造が隠されています。

聴く人の年齢や経験によって、多様な意味が姿を変える。

20代で聴けば青春の歌、40代で人生の歌、60代で祈りの歌となる——それが『HANABI』の魔法です。

最後に、あなたに問いかけます。

もう一度だけ信じたい夢は何ですか?

心の奥にしまい込んだ問いはありませんか?

今、手を伸ばしたいものは何ですか?

人生は不器用で、簡単に答えが出るものではありません。

でも「もう一回」と願う限り、私たちの旅は続いているのです。

この歌が、あなたの大切な問いに寄り添い続けますように。