
「名もなき詩」。
このタイトル、ずっと不思議でした。
名前がない。
形もない。
でも、それでも誰かに捧げようとしている。
この曲って、ラブソングでもあるし、応援歌にも聴こえるんですけど、
個人的にはもっと違う。
“完璧じゃない人間が、完璧じゃないまま誰かの隣に立とうとする歌”
だと思っています。
「食べてやる」という言葉の重さ
ちょっとぐらいの汚れ物ならば
残さずに全部食べてやる
ここ、昔からすごい言葉だと思ってます。
普通なら「受け入れる」とか言いそうじゃないですか。
でも、この曲は違う。
「食べてやる」。
体の中に入れる。
自分の一部にしてしまう。
相手の綺麗な部分だけじゃなくて、面倒くささも、弱さも、少し泥っぽい部分も。
一緒に背負う、というより、
「もうこっち側に混ぜてしまう」感じ。
愛を、かなり乱暴な動詞で言ってる。
きれいな言葉じゃ足りなかったんでしょうね。
「ノータリン」であること
君が僕を疑っているのなら
この喉を切ってくれてやる
僕はノータリン
大切な物をあげる
テレビでは「言葉では足りん」に変わっていたりしましたけど、
やっぱり「ノータリン」じゃないと成立しない気がする。
恋愛って、時々こういう瞬間ありますよね。
説明は下手。
伝え方も下手。
なのに、本気だけは隠せない。
この曲、そういう不格好さを全然恥じてない。
むしろ、
「人間、そんなもんだろ?」
って開き直ってる感じがする。
「僕だってそうなんだ」
知らぬ間に築いていた
自分らしさの檻の中で
もがいているなら
僕だってそうなんだ
ここ、多分この曲の核心。
「自分らしさの檻」って表現、怖いんですよね。
誰かに閉じ込められたわけじゃない。
自分で作った檻。
「自分はこういう人間だから」
「今さら変われないし」
「期待されてる役割があるし」
そうやって生きてるうちに、
気づいたら、自分で自分を動けなくしてる。
ありますよね。
で、この曲がすごいのは、
そこで「頑張れ」と言わないこと。
「僕だってそうなんだ」
と言う。
この一行で、急に距離が近くなる。
上から励ます歌じゃなくなる。
同志の歌になる。
情緒不安定って、案外普通のこと
こんな不調和な生活の中で
たまに情緒不安定になるんだろう?
ここ、妙に好きなんです。
「たまに」なんですよね。
毎日じゃない。
でも突然来る。
理由なく沈む日。
うまく笑えない日。
なんか全部しんどい日。
でもこの曲、それを問題扱いしない。
「そういうこともあるよな」
くらいの温度で置いてある。
この感じ、すごく救われるんですよね。
人って、
元気じゃない日があるだけで、
「自分おかしくなったかな」って思いがちなので。
愛は、作るものじゃなくて
愛はきっと奪うでも与えるでもなくて
気が付けばそこにある物
ここ、有名ですけど、
何回聴いてもいい歌詞です。
愛って、「与える」と言うと少し優等生っぽい。
「奪う」だと依存っぽい。
でも実際の長い関係って、
そんな綺麗に整理できないんですよね。
気づいたら、ある。
気づいたら、生活の中に混ざってる。
歯ブラシみたいに。
コーヒーカップみたいに。
特別なイベントより、
そういう雑多な存在感の方が、本物だったりする。
「名もなき詩」ということ
愛情ってゆう形のないもの
伝えるのはいつも困難だね
だから darlin
この「名もなき詩」を
いつまでも君に捧ぐ
最後に、タイトルの意味が回収される。
愛を説明しようとすると、足りなくなる。
名前をつけようとすると、少し嘘っぽくなる。
だから、この歌は
最初から「名もなき詩」だった。
完成された愛の歌じゃない。
綺麗に答えが出た歌でもない。
不器用で、
情緒不安定で、
檻の中でもがいていて、
でも誰かを見捨てたくない人の歌。
だからこの曲、
「頑張れ」って背中を押してくる感じじゃないんですよね。
もっと近い。
檻の中でもがいてる人の隣に来て、
「僕もだよ」って小さく言う。
たぶん、そういう歌です。
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