Mr.Children歌詞解釈記

ミスチルファン歴30年。

【先の知れた未来】ミスチル「未来」歌詞解釈——30代以降が震えるものの正体

日曜の夜、来週の予定表を見て『またあの景色が始まるのか』とうんざりする事はないでしょうか。

かつては「未来が見えない」ことが不安でした。

でも今は違う。

「見えすぎる」方が怖い。

名前もない路上で待ってる

名前もない路上で ヒッチハイクしている 膝を抱えて待ってる

誰かに迎えに来てほしいけど、自分からは動けない。

この能動的になれない感じ、今の時代の生きづらさそのものだと思う。

でも次の行がきつい。

追い払ったのは僕だから

孤独の一番しんどいところは、原因が自分にあるとわかってることなんですよね。

果てしない未来が、横たわる未来になった

生まれたての僕らの前にはただ 果てしない未来があって それを信じてれば 何も恐れずにいられた

10代の頃は根拠もなく信じられた。

「きっと素晴らしい未来が待ってる」って。

でもこの曲はそこに続ける。

そして今僕の目の前に横たわる先の知れた未来を

うーん、重い........。

「横たわる」って表現が絶妙で。

普通なら「広がる未来」って言うところを、まるで重荷みたいに置いてある。

30代を過ぎると見えてくるんですよ。

昇進のペースも、人間関係の輪郭も。

飲み会で「最近どう?」って聞かれて「まあぼちぼちです」って答える。

5年前も同じこと言ってた。

これが「先の知れた未来」の正体なのかも。

また、このパターンだ

女が運転する 車が止まって 「乗せてあげる」と言った 僕は感謝を告げて 車のドアを開いて 助手席に座って また礼を言う

車に乗せてもらった女性との距離感——最初は感謝、だんだん疲れる、眠ったふりをする。

これ、全部の人間関係の縮図なんですよね。

で、気づいたらまた「名前もない路上」で膝を抱えてる。

生きてる理由なんてない、だけど死にたくもない

ここに全部集約されてる。

客観的には恵まれてる。

でも朝起きる理由が見つからない。

積極的に生きたいわけでもないけど、死にたいほど辛いわけでもない。

だから「やり過ごす」。

この本音を、桜井さんはそのまま歌にしてしまう。

すこしだけ、あがいてみる

この「すこしだけ」が好きで。

人生変えなくていい。毎日筋トレしなくていい。

ただ「すこしだけ」でいい。

「頑張る」じゃなくて「あがく」。

不格好でもいいから、それでも諦めない。

そしてラスト。

ヒッチハイクをしてる僕を迎えに行こう

最初は「誰かに迎えに来てほしかった」主人公が、最後は自分で動き出す。

迎えに行くのは、路上で膝を抱えていた過去の自分。

あの迷いも孤独も全部含めて、受け入れる。

この着地が、静かに効くんですよね。