
日曜日の夜、来週の予定表を見ながら「う~ん、また同じような一週間が始まる...」ってうんざりする感覚、ありませんか?
かつては「未来が見えない」ことが不安でした。
でも今は違う。「見えすぎる」方が怖い時代になったんです。
「これがあと30年続くのか...」
そんな絶望を抱えた時、「未来」が妙に心に刺さる。
メロディは前向きなのに、歌詞は現代人の不安を容赦なく描いてる。
なんか桜井さんに心の中を見透かされた気分になるんですよね。
歌詞解釈
名前もない路上で ヒッチハイクしている
膝を抱えて待ってる
この「名前もない路上」って、今の僕らの心境そのもの。
大学は卒業したけど、自分が何者なのかよく分からない。
仕事はあるけど、それが本当に自分の生きがいなのか疑問。
こういう所属感の薄さが、「名前もない路上」というメタファーに現れてる。
「ヒッチハイク」も絶妙な選択ですよね。
誰かに迎えに来てもらいたいけど、自分からは積極的に動けない。
助けは欲しいけど、どうしていいか分からない。
この能動的になれない感じが、今の時代の生きづらさと重なります。
でも次の歌詞で、彼は気づくんです。
進入禁止だって あらゆるもの拒絶して
追い払ったのは僕だから
孤独の一番辛いところって、その原因が自分にあることを知ってること。
友達がいないのは、自分が心を開かなかったから。
チャンスを逃したのは、自分が動かなかったから。
「追い払ったのは僕だから」という自覚が、孤独をより深くする。
「自己責任論」という重圧。
この一行には、そんな現代人の息苦しさが凝縮されています。
そしてサビで、時間感覚が一気に変わります。
生まれたての僕らの前にはただ
果てしない未来があって
それを信じてれば 何も恐れずにいられた
10代、20代前半の頃って、本当に未来は無限だって思えましたよね。
不安より期待。
「きっと素晴らしい未来が待ってる」って、根拠もないのに信じられた。
でも次の歌詞で一転します。
そして今僕の目の前に横たわる
先の知れた未来を 信じたくなくて
目を閉じて過ごしている
う~ん、重い。
「横たわる」って表現が絶妙なんです。
普通なら「未来が広がる」って言いそうなところを、あえて「横たわる」。
まるで未来が重荷みたいに、乗り越えなきゃいけない障害物みたいに感じられる。
30代を過ぎると見えてきますよね。
昇進のペースも、人間関係の輪郭も。
飲み会で「最近どう?」って聞かれて、「まあ、ぼちぼちですね」って答える。
5年前も同じこと言ってた。5年後もたぶん同じことを言ってる。
別に不幸じゃないんです。むしろ客観的には恵まれてる。
でも、あの頃の「何にでもなれる」感覚はもう戻ってこない。
これが「先の知れた未来」の正体です。
そしてこの歌には、人間関係のパターンも見えてしまった男の物語が続きます。
女が運転する 車が止まって 「乗せてあげる」と言った
僕は感謝を告げて 車のドアを開いて 助手席に座って また礼を言う
しばらく走ると僕は 硬いシートに 居心地が悪くなって
女の話に相槌打つのも嫌になって 眠ったふりした
ここ、一見すると恋愛の話に見えます。
でもおそらく桜井さんは、「孤独」という重すぎるテーマを、あえて恋愛に例えたのかも。
車に乗せてもらった女性との距離感。これ、すべての人間関係の縮図なんです。
最初は感謝→だんだん疲れる→距離を取る→また一人に戻る。
会社の先輩が飲みに誘ってくれる。最初は嬉しい。でも30分もすると疲れてくる。
「ああ、またこのパターンだ」って。
そしてこの曲の核心が、次の一節です。
生きてる理由なんてない だけど死にたくもない
こうして今日をやり過ごしてる
ここに「未来」という曲の全てが集約されてる。
安定した仕事があって、特に不自由のない生活。
でも朝起きる理由が見つからない。
客観的には恵まれた環境なのに、自分の人生の意味がよく分からない。
これって心理学でいう「実存的空虚感」です。
積極的に生きたいわけじゃないけど、死にたいほど辛いわけでもない。
だから「やり過ごす」。
桜井さんの鋭さに脱帽です。
でもこの絶望の先に、小さな希望が差し込まれます。
信じたくなくて すこしだけあがいてみる
絶望的な状況を歌いながら、最後に差し込まれるこの一行。
この「すこしだけ」って表現が、とてもリアルで美しい。
Instagramには「副業で月収30万!」「朝活で人生変わった!」みたいな投稿が溢れてる。
でも桜井さんは言う。「すこしだけあがいてみる」って。
毎日筋トレしなくていい。人生変えなくていい。
ただ「すこしだけ」でいい。
「あがく」という言葉の選択も絶妙です。
「頑張る」「努力する」といった前向きな言葉じゃなくて、「あがく」。
もがき苦しみながら、不格好でもいいから、それでも諦めない。
この不格好な抵抗こそが、2025年を生きる僕らのリアルな希望なんだと思う。
そして最後、主人公は動き出します。
ヒッチハイクをしてる僕を、迎えに行こう
ここが一番深いと思うんです。
歌の最初、主人公は路上で誰かに迎えに来てもらうのを待ってた。
でも最後は「迎えに行こう」と能動的に動き出す。
誰を迎えに行くのか。過去の、迷っていた自分です。
あの路上で膝を抱えて待っていた自分。孤独を選んだ自分。先の知れた未来に目を閉じていた自分。
その全部を否定しない。
少しだけ成長した今の自分が、まだ迷っていた過去の自分を迎えに行く。
この自己受容の深さに、救われます。
おわりに
「未来」は、現代人が抱える「先の知れた未来」への不安を、これ以上ないほど的確に言語化した一曲です。
「生きてる理由なんてない だけど死にたくもない」というギリギリの本音を、そっと肯定してくれる。
完璧である必要はない。劇的に変わる必要もない。
ただ「すこしだけ」、不格好でもいいから抵抗し続ける。
その小さな希望を、この曲は静かに照らしてくれます。