Mr.Children歌詞解釈記

ミスチルファン歴30年。

ミスチルは社会派バンド?世界の話をしているのに、最後はいつも「君」に帰ってくる

ミスチルって、社会派バンドですよね。

……と、ずっと思っていました。

『タガタメ』『マシンガンをぶっ放せ』『禁断の実』。

戦争、命、環境問題。そういう曲の印象が強くて、僕の中ではずっと「社会も歌うバンド」というイメージだったんです。

で、今回も全曲をざっと数えてみました。

すると、社会や命、世界そのものをかなり正面から扱っている曲は、267曲中44曲。

全体の約16%でした。

あれ、思ったより少ない。

体感では、もっと多い気がしていたんですよね。

じゃあなぜ、ミスチルはこんなにも「社会派」に見えるのか。

曲を並べていて、ひとつ気づいたことがありました。

ミスチルって、世界の話をしているようで、最後はいつも「君」に帰ってくるんです。

『タガタメ』は、戦争の歌というより「愛すこと」の歌なのかもしれない

たとえば『タガタメ』です。

この曲は、戦争や、世の連鎖について歌った代表曲として語られることが多いですよね。実際、

子供らを被害者に
加害者にもせずに
この街で暮らすため
まず何をすべきだろう?

という重い問いを投げかけています。

でも、この曲が最後にたどり着く場所は意外なほど小さい。

かろうじて出来ることは
相変わらず 性懲りもなく
愛すこと以外にない

世界を変えよう、ではない。
革命を起こそう、でもない。
最後に残るのは「愛すこと」なんですよね。

しかも「性懲りもなく」という言い方がいい。

何かを悟った人の言葉というより、何度も失敗して、それでも諦めきれない人の言葉に聞こえるからです。

世界の大きさに向かったはずの歌が、最後は「愛すこと」に戻ってくる。

ここに、ミスチルらしさがある気がします。

『禁断の実』は、火星の話をしていたのに最後は「君とここにいる」になる

もう一曲、わかりやすいのが『禁断の実』です。

この曲のスケールはかなり大きい。

人類の欲望、地球の未来、文明の行き着く先。ほとんどSFみたいな世界観です。

「いつか火星まで行ける」と
何処かの誰かが言う

なんて、完全に“世界”の話ですよね。

ところが最後はこうなる。

「この地球が待つ未来に
希望はない」とも言う
もしホントでも
僕はここにいる
もしホントでも
君とここにいる

火星まで飛んでいった話が、最後は「君とここにいる」になる。

でも、よく考えるとミスチルってずっとこれなんですよね。

どれだけ大きな話をしていても、最後は目の前の一人に戻ってくる。

『進化論』も、結局は「君と廻してる」になる

『進化論』もそうです。

進化、生存競争、人類の未来。
テーマだけ見ればかなり壮大です。

でも最後に歌われるのは、

今日も廻ってる
あぁ この世界 愛しき世界
君と廻してる

なんです。

世界を語っていたはずなのに、気づけば隣にいる人の話になっている。

ここが面白いところで、ミスチルは社会や世界を入口にすることはあっても、出口はいつもすごく人間的なんですよね。

「世界をどうするか」ではなく、
「その世界の中で、君とどう生きるか」
そこへ帰ってくる。

だからミスチルは「社会派」に見えて、少し違う

最初の問いに戻ります。

なぜ16%しかないのに、ミスチルはこんなにも社会派バンドに見えるのか。

たぶん理由は単純です。
扱っているテーマが大きいから。

戦争、命、未来、環境、人類。
入口はいつも世界規模なんです。だから印象に残る。

でも、桜井さんが本当に見ているのは社会そのものではない気がします。
その世界の中で生きている人。
もっと言えば、「君」と「僕」。

だからミスチルの社会性って、不思議と説教臭くならないんですよね。
世界を歌っているようで、最後はいつも「君」に帰ってくるから。

たぶん僕らは、そこにミスチルらしさを感じてきたんだと思います。

おわりに

ミスチルは世界の話をする。

でも最後は、いつも目の前の「君」に帰ってくる。

戦争のことを歌っていても、地球の未来を見つめていても、進化や人類の話をしていても、最後に残るのは「その世界の中で、君とどう生きるか」という感覚です。

社会を歌うバンドというより、世界を見つめながら、その中で生きるたった一人を歌い続けてきたバンド。

今回あらためて曲を並べながら、そんなふうに思いました。

あとがき

この記事を書いたあと、YouTubeの「わからんからの手紙」で、小林武史さんと桜井さんが“視点”について話しているのを見返しました。

小林さんは、歴史や時代背景のような大きな流れを見る。
それに対して桜井さんは、もっと身近なものを見る。

もちろん、そのまま今回の話に当てはめていいほど単純ではないのかもしれません。

でも、そのやりとりを聞いていると、ミスチルの曲が「世界」を入口にしながら、最後は「君」や「僕」のような手触りのある場所へ戻ってくる理由が、少しわかる気がしました。

大きな景色を見ているのに、最後に歌われるのは、目の前の一人のこと。

今回自分が感じたミスチルらしさは、案外そういうところにあるのかもしれません。