「Stupid hero」、日本語で「愚かな英雄」。
「ん……ヒーローが、愚か? 普通は逆では。」
そう思って当然です。
この曲、その違和感ごと抱えて読み進めると、最後に「そういうことか」となります。
「stupidだ 人々は」―呆れではなく、苦笑いと愛情
冒頭からかなり刺さります。
悩んでるか? またくだらんことを…
今日もstupidだ 人々は
いきなりキツい。地味にキツいんです。
でもこれは単なる見下しじゃないと思うんですよね。
他人を突き放して笑っているというより、自分も含めた人間全体への苦笑いに近い。
悩まなくていいことに悩み、出口のない迷路に自分で入り込み、それでもまた考え込んでしまう。
突き放してるのに、優しい。
見下してるのに、見捨ててない。
この絶妙な距離感は、桜井さん独特の言い回しだと思います。
なぜ"キティちゃん"なのか
最初に一番引っかかったのはここでした。
そのキティちゃんは泣いて見える
でも本当は泣いてなどいない
でも泣いてるように見える
僕の レンズが曇ってるのさ
「何でキティちゃん?」と思ったんですが、ここで重要なのは Hello Kitty には口がないことです。
表情が固定されすぎていないから、見る側の気分で笑っているようにも見えるし、寂しそうにも泣いているようにも見える。
つまり桜井さんは、
「対象が泣いているんじゃない。泣いて見える"自分の心"が曇っている」
という話をするために、感情を投影しやすいキティちゃんを選んだんだと思います。
「勇み足だった勇気」―若さの正しさへの疑い
「きっと辿り着けるよ」と勇み足
飛び込んでったあの勇気は 正しさは
もしかして勘違いだったの??
若い頃って、「これが正しい」と信じたものに全力で飛び込めた。
でも大人になると、当時の熱量を思い出して急に恥ずかしくなる瞬間がある。
昔書いた日記や、必死に語っていた夢をふと思い出して「うわ、青かったな」と笑いたくなる感覚です。
でも桜井さんはそれを「黒歴史」として処理しないんですよね。
「勘違いだったの??」という問いは、答えを出さないまま宙吊りにされている。
あの勇気が正しかったかどうかを、この曲は最後まで裁かない。
「掴みどころのない敵」と戦い続けること
社会が持つ悪癖に 片目を瞑り
人々は暮らしてる 戦っている
この掴みどこない敵と
誰が決めたかもわからない謎ルール、実体のない「正しい生き方」。
その相手は、最初から形を持っていない。
だから全部と戦い続けることはできない。 時に片目を瞑る。
これは妥協じゃなくて、生き延びるための知恵だと思うんです。
それでも「戦っている」と桜井さんは言う。
諦めてはいない、と。
蒼い炎 ― まだ死んでいない情熱
転んだってただじゃ起きはしない
今日もゆらゆらと蒼い炎が燃えている
赤い炎じゃなくて"蒼い"のがいいんですよね。
蒼い炎は、静かに見えて実は温度が高い。
若い頃の「ゴーッ」と燃えるような派手な情熱じゃないけれど、もっと芯の深い熱がある。
生活に埋もれても、年齢を重ねてくたびれた大人にも、完全には消えていないもの。
その残り火が、蒼い炎です。
愚かだからこそ、僕らはヒーローになれる
この曲の核心は、"stupidを否定語ではなく賛歌に変えてしまっていること"だと思います。
普通なら「愚か」はマイナスなのに、最後にはヒーローにひっくり返る。
そして曲の最後にもう一度、
stupidだ 人々は
で終わる。
冒頭では皮肉に聞こえたこの言葉が、最後には「それでも愛しいよな、人間って」に変質している。
その変質に気づいたとき、この曲がただの応援歌じゃないことがわかります。
余談
最初に聴いたとき、正直歌詞はほとんど聞き取れませんでした(笑)。
何回も歌詞カードを読み返して、ようやく「あ、こういう歌詞だったのか」と気づく。
一度で全部わかる曲じゃないところも含めて、Mr.Children の歌詞の魅力だと思っています。
この曲を聴くたびに、ふと思い出す歌詞があります。
もっと大きなはずの自分を探す 終わりなき旅
あれから20年以上が経って、桜井さんは今度は「悩んでるか? またくだらんことを…」と言う。
呆れながら、でも愛しそうに。
それは、あの頃から相も変わらず悩み続けている僕らへのエールだと思う。
僕だけじゃない……はず。