
誰でも一度くらい、「もう終わりにしよう」と言えなかったことがある。
言えないまま、普通にしてたことがある。
この曲はそれを「平熱」と呼んでいる。
ねぇ どうしたら届くだろうね
その心の核心に
冒頭からいきなり核心を突いてきます。
距離が遠いのではない。近いのに分からない。それがこの曲の出発点です。
池に映る細い三日月を
手で掬い取ろうとしてるみたいだ
見えている。触れられそうにも思える。でも絶対に掴めない。
単に「届かない」と言っているのではなくて、確かにそこに存在しているのに、本質だけが手をすり抜けていく感覚。
この比喩一つで、二人の関係の輪郭がほぼ見えてきます。
助手席に君はいるのに
違う宇宙にいるんだね
ここが個人的に一番怖い表現です。
「隣にいるのに遠い」なら、まだ距離の問題として処理できます。
でも「違う宇宙」という言葉は、距離ではなく前提が違うということを認めてしまっている。
共有できていない、ではなく、もとから接続できない場所にいる。
それを、隣に座りながら感じている。
その怖さが、さらっと書いてあります。
四つの脚で駆けた想い出が 消えぬよう祈るだけ
四つの腕で触れ合った身体は 今もそのまま
昔は一緒に走っていた。今は身体だけが近い。
「今もそのまま」という言葉が少し生々しく響くのは、心が揃っていないのに関係の形だけが続いているからだと思います。
これがこの曲全体に漂う空気の正体です。
互いの情熱は平熱以上でも
それ以下でもない
ここがタイトルの核心です。
冷めているなら、終わらせることができます。
燃え上がっているなら、何かを変えようと動けます。でも平熱は、そのどちらもできない。
熱はある。愛情もある。
でもその熱は、もう日常の温度に落ち着いてしまっている。
「平熱」とは、関係が死んでいるのではなく、動けないまま生きている状態のことです。
「自由でいよう」って君が言う
「でも好きだよ」と僕が言う
この会話、噛み合っていません。
君は関係をぼかそうとしていて、僕はそれを繋ぎ止めようとしている。
しかも君はそれ以上何も言わない。否定もしない、肯定もしない。
この沈黙が、この曲で一番リアルな場所だと思います。
終わりに
歌詞全体を通して見えてくるのは、終わりを認めたくない彼と、もう関係をはっきりさせる気がない彼女の姿です。
続いているようで、もう成立していない関係。
答えが書いていないのではなくて、答えが出ない状態そのものを書いている曲だと思います。
だから読むたびに引っかかるし、人によって全然違う解釈になる。
余談
「林先生の初耳学」で林修先生がこの曲を取り上げたとき、自分の恋愛と重ねて話していたのが印象的でした。
桜井さんが苦笑いしていたのも含めて、それくらい"人それぞれの答えが出てしまう曲"なんだと思います。
誰でも一度くらい、言えなかったことがある。
その「一度」を、桜井和寿はちゃんと曲にしてくれていました。