
Mr.Childrenの『くるみ』。
桜井さんが「この曲がミスチルの原点」って語っている、特別な一曲です。
でもこれ、ただの「頑張れ!」っていう応援歌じゃないんですよ。
一度夢に破れて、ボロボロになって、それでも「……チクショー、もう一回歩くか」って泥臭く立ち上がる「大人の再出発」の歌。
今日は、この曲の核心にある「痛み」と、そこからの「救い」について、僕なりの解釈をゆるっと語っていこうと思います。
「掛け違えた」という感覚の正体
ねぇ くるみ この街の景色は君の目にどう映るの? 今の僕はどう見えるの?
まずこの「くるみ」っていう呼びかけ。
これ、かつて愛した人の名前でもあるけれど、同時に「夢をキラキラ信じていた頃の自分自身」でもあるんですよね。
これ、結構キツくないですか?
今の自分を、あの頃の自分が「ねぇ、今の君、どうなっちゃったの?」って鏡の中から覗き込んでいるような感覚。
「あの頃の僕が今の僕を見たら、ガッカリするかな?」
この逃げ場のない問いかけが、曲の冒頭からずっと僕らにまとわりついてくるんです。
「ギシギシ」という、僕らが生きる音
良かった事だけ思い出して やけに年老いた気持ちになる (中略) 歯車のひとつにならなくてはなぁ この必要以上の負担に ギシギシ鈍い音をたてながら
ここ、30代40代にはほぼ直撃のフレーズです。
「昔は良かったなぁ」なんて過去を美化して現実逃避したくなる自分を、桜井さんは「それ、年老いたってことだよ」ってバッサリ。
僕らは社会っていう巨大な機械の中で、無理やり「歯車」として組み込まれていく。
スムーズに、軽快に回れればいいけれど、そんなの理想論。
実際は、理想と現実の摩擦で「ギシギシ」って鈍い音を立てながら、必死に回り続ける。
でもね、思うんです。
この「ギシギシ」っていう摩擦音こそが、僕らが今を全力で生きている「生命の音」そのものなんじゃないか、と。
ミスチル史上、最高の「弱さの哲学」
そして、僕がミスチルの全楽曲の中でも「最高傑作!」って叫びたいのがこのフレーズ。
どこかで掛け違えてきて 気が付けば一つ余ったボタン 同じようにして誰かが 持て余したボタンホールに 出会う事で意味が出来たならいい
人生、選択ミスなんて数えきれないほどありますよね。
「あっちの道を選んでいれば」「あの時、あんなこと言わなきゃ」 そんな「掛け違い」の果てに、ポツンと余ってしまった自分というボタン。
普通なら「失敗作」で終わるところを、桜井さんは「その余ったボタンだからこそ、ピッタリ合うボタンホールがどこかにあるはず」って言います。
あなたの欠点も、回り道した時間も、癒えない傷も。
すべては、まだ出会っていない誰かを救うための「形」なのかもしれない。
「それでも」という言葉に潜む「業(ごう)」
希望の数だけ失望は増える それでも明日に胸は震える
これって美談というより、「どれだけ痛い目に遭っても、また期待しちゃう人間の愚かさ」への苦笑いだと思うんですよね。
震えているのは「期待」だけじゃなくて、「恐怖」や「武者震い」かもしれない。
「希望を捨てきれない自分」を褒めているんじゃなくて、「諦めさせてくれない自分」に振り回されている。
そんな「業」の深さこそが、大人の「ギシギシ」した生き様の正体なのかなと。
「君のいない道」へ、一人で踏み出す決意
引き返しちゃいけないよね 進もう 君のいない道の上へ
ラストシーン。
これ、「新しい恋を探しに行こう!」なんて爽やかなもんじゃない。
かつての夢、愛した記憶、そして「夢を見ていた自分」を完全に切り離して、たった一人で荒野へ歩き出す……そんな冷徹なまでの決意です。
『くるみ』は、最後まで優しく抱きしめてはくれません。
むしろ、冷たい夜風のような寂しさを突き放すように残していく。
でも、その突き放された寒さの中でこそ、僕らは自分の足で歩き出す強さを手に入れるんだと思います。
おまけ
やっぱ、くるみと言えばあのMV。
うーん、何度見てもいいですね!
この曲は、MV込みで完成している。
やっぱりミスチルは、僕らの「情けない部分」まで全部知った上で、隣で一緒にビールを飲んでくれるような、そんな存在だなぁとしみじみ思うのでした。