の歌詞
「短命すぎた首相を 嘆くTV BLUES…」
今日もまた新首相のニュースが流れる。
その瞬間、頭の中で勝手に『So Let's Get Truth』が鳴るんですね。
30年前の曲なのに、まるで今日のニュースを歌っているみたい。
ということで『So Let's Get Truth』の解釈記事を書きたいと思います。
まず曲調について——「仮タイトルは長渕」
この曲ギター1本とハーモニカの弾き語りです。
シンプルだからこそ、歌詞がすんなり入ってきます。
最初聴いた時「これ、長渕!?」と思ったら、案の定、桜井さんも当時のインタビューで「仮タイトルは長渕だった(笑)」と答えていました。
そのあとで桜井さんは「でも、長渕さんの真似をしようと思って歌ったわけじゃないんですよ。デモテープの歌い方の癖が抜けなかった」と話しています。
ミスチル史での位置づけ——恋愛から社会批判へ
1996年、『深海』でミスチルは変わりました。
それまでの「innocent world」や「シーソーゲーム」みたいな恋愛や青春の悩みから、社会批判へ。暗くて、重くて。
最近の若いファンは驚くかもしれませんが、当時のミスチルは「説教臭くなった…」って言われてたんです。
なぜか?
桜井さんが「語り手」として前に出すぎたからと思います。
これまでは「一緒に悩もう」というスタンスだったのに、急に「これっておかしくない?」と問題提起する立ち位置になった。
その変化に、当時のファンは戸惑ったんですね。
でも僕自身はこの説教臭さが大好きで、ますますミスチルが好きになりましたが・・・
それでは歌詞解釈に入ります
冒頭——「素通りする」を3回繰り返す意味
ゴミのようなダンボール そこで眠る老婆
錆びた夢の残骸 明日は我が身
だけど素通りする素通りする素通りしたりする
冒頭、路上で寝ている人(ホームレス)を見て見ぬふり。
これ実は2025年の現代でも、まったく同じかも。
TVで貧困や孤独死のニュースを見ても「大変だなぁ」で終わり。「明日は我が身」って思いながらも、結局素通り。
YouTubeで貧困動画を見て「自分はまだマシだ」って安心する――そういう嫌な自分がいる。
30年前も今も、変わっていません。
「短命政権あるある」——1990年代も2020年代も
駄目な日本の情勢を 社会派は問う
短命すぎた首相を 嘆くTV BLUES
みんな苦笑してる苦笑してる苦笑したりしてる
この部分は当時の村山総理について歌っています。
1993〜1996年
細川護熙(263日)→羽田孜(64日)→村山富市(約1年半)と短命政権ラッシュ。
2020年代
菅義偉(約1年)→岸田文雄(約3年)→石破茂(約1年)→高市早苗(現在)。
また新しい人。
また新しいスローガン。
もう驚かない。期待もしない。
ただ「苦笑してる苦笑してる」。
この感覚、まさに今です。
「思想を持たない」っていう自己紹介——この曲の核心
我は思想を持たぬ愚連隊です
若きこの世の雑草です
団塊の世代が産んだ愛の結晶は
今日も walking in the street
これ、皮肉なのか、愛情なのか、微妙なラインを攻めてますよね。
団塊世代は理想を掲げて戦った。
そして、その子供たちに「愛」を注いだ。
でも、その「愛の結晶」である僕ら団塊Jrは、何の思想も持たず、ただ街を歩いてる。
親世代が築いた豊かさの中で、安全に育って、でも無力感だけは受け継いだ。
「愛の結晶」って呼ばれてるのに、何もできてない——この自己矛盾が、団塊ジュニアの核心かも。
「利口なふり」をする子供たち——今も昔も
子供らはたんこぶ作らず遊び
隣に習えの教養を
植え付けられて顔色を見て
利口なふり利口なふり利口なふりをするが
1996年も2025年も、子供は変わってない。
空気を読む。
本音は言わない。
先生や親の顔色を見て、期待される答えを言う。
「たんこぶ作らず」 = 危険を冒さない。失敗しない。傷つかない。
安全で、無難で、でも何も生まれない。
でも、希望はある——「一緒に探そう」という呼びかけ
やがて矛盾を知り苦悩したり試行錯誤する
So Let's Get Truth
「利口なふり」してた子供たちも、いつか気づく。
社会の矛盾に。自分の不誠実さに。
そして苦悩して、試行錯誤する。
「So Let's Get Truth」――真実を掴もう。
これ、命令じゃなくて呼びかけなんですよね。
「一緒に真実を探そう」っていう、仲間への提案。
桜井和寿の方法——説教でも抗議でもなく
ボブ・ディランみたいな抗議ソングでもなく、
長渕剛みたいな熱い説教でもない。
「思想を持たない」って認めた上で、それでも「一緒に探そう」って手を差し伸べてる。
それが、桜井和寿の方法。
結局、30年何も変わってない
スマホができて、SNSが普及して、働き方も変わった。
でも、無力感、諦め、同調圧力、本音を言えない空気――変わってない。
1996年も2025年も、僕たちは「素通りして」「苦笑して」「利口なふりして」生きてる。
そして、こうやって「変わってない」って分析してる僕も、結局何もしてない。
ブログに書いて、「わかってる風」を装って、満足してる。
30年前の曲を引用して、「今も響くよね」って共感を求めてるだけ。
桜井さんが「思想を持たぬ愚連隊」って歌った、まさにその子孫が僕だ。
こうやって言語化することで、何か意味があると思い込んでる。
でも現実には、明日も変わらず「素通り」する。
だから『So Let's Get Truth』が、今も響くんだなぁ。
響くだけで、動かない僕らに。