
尾崎豊を敬愛してきた桜井さんが、『Fifty's map』なんてタイトルを付ける。
そりゃもう、『Seventeen's Map』を重ねずにはいられません。
でも、この曲は若者の反抗じゃない。
もっと静かで、もっと現実的。
大人になった人間の「閉塞感」と、それでもまだ消えきっていない衝動の歌です。
若い頃みたいに叫ばない。
窓ガラスも叩き割らない。
でも、心のどこかでは今も「ここじゃないどこか」を探してる。
そんな曲に聴こえました。
「独りになれたら」と願う瞬間
誰にだって「独りになれたら」と願う
そんな時がある
この一行、妙に刺さるんですよね。
別に“孤独になりたい”わけじゃない。
たぶん、「役割」から一瞬だけ降りたいんです。
父親。夫。上司。部下。
大人になると、四六時中なにかを演じ続けなきゃいけない。
だからコンビニへ行くふりして、ちょっと遠回りする。
車の中でぼーっと缶コーヒー飲む。
……あぁ、あるあるすぎる。
トイレに必要以上に長くこもるあの感じも、たぶん同じです(笑)。
誰にも責められてないのに、ずっと“何者か”でい続けるのって、地味に疲れるんですよね。
「自由」は、まだ終わってない
自由ってやつは
ティーンエイジャーにだけ
かかる魔法じゃないはずだろう?
ここ、個人的にこの曲の核心です。
主人公はもう、若い頃みたいな無敵感は持っていない。
勢いだけで走れる年齢でもない。
でも、それでも言うんです。
「自由そのものまで消えたわけじゃないだろ?」って。
この言い方が、どこか自分に言い聞かせてる感じなんですよね。
自由はある。
……いや、本当にあるのか?
その揺らぎ込みで歌ってる。
だから綺麗事にならない。
「自信がある人」じゃなく、「あるように見せる人」
自信なんて無くても
あるように見せれるさ
これ、めちゃくちゃ大人の歌詞です。
若い頃って、「本当に自信がある人」が強いと思ってた。
でも社会に出ると、案外そうでもない。
むしろ、
“不安を隠して立ってる人”
のほうが多い。
会議で堂々と話してる人も、家では「俺これ大丈夫かな…」って普通に不安だったりする。
つまり大人って、“成長”というより、“演技が上手くなる”側面もあるんですよね。
この歌詞、そこをかなり正直に書いてる。
うーん、苦い。
人生は「回収フェーズ」に入っていく
自分で蒔いた種を
拾い集めるだけの日々
ここ、さらっと歌ってるけど結構えぐいです。
若い頃は「何を始めるか」が人生だった。
でも年齢を重ねると、
「過去に撒いたものの回収」
が増えてくる。
昔の選択。
言ってしまった言葉。
後回しにしてきたこと。
全部、あとからちゃんと戻ってくる。
人生って“収穫”というより、“後片付け”の時間が長いのかもしれません。
……とか考えると、ちょっと怖い(笑)。
尾崎豊が一瞬だけ顔を出す
バイクで闇蹴散らし
窓ガラス叩き割って
つまらぬルールを破壊しながら
ここ、突然“尾崎”が出てきます。
完全に『卒業』とか『十五の夜』の世界。
でも面白いのは、この曲ではそれが“現在進行形”じゃないこと。
若い頃みたいに、本気で世界を壊したいわけじゃない。
でも、その衝動の残り火はまだ消えてない。
だからこの場面、青春礼賛というより、
「昔、確かに自分にもあった熱」
を思い出してる感じがするんです。
叫ばなくなっただけで、まだここにある。
この曲のタイトルが『Fifty's map』なの、そこに繋がってる気がします。
「似てる仲間がここにもいるよ」
似てる仲間が
ここにもいるよ
最後、この一言で救われます。
若い頃みたいに、
「世界を変えようぜ!」
とは言わない。
でも、
「なんか生きづらいよな」
「自由って難しいよな」
そう思いながら踏ん張ってる人間が、ここにもいる。
ミスチルって、こういう寄り添い方が本当に上手い。
熱血じゃない。
説教もしない。
ただ、「わかるよ」とだけ言ってくれる。
それだけで、ちょっと救われる夜があるんですよね。
さいごに
『Fifty's map』は、
“大人になったあとも、まだ自由を探している人間”
の歌だと思いました。
タイトルに「map」とあるけど、この曲に“正解の地図”は出てきません。
むしろ逆です。
迷っている。
疲れている。
立ち止まっている。
でも、それでもまだ、
「自分の人生を生きたい」
という火だけは消えてない。
その不器用な火を抱えたまま進む感じが、どうしようもなく人間っぽい。
いやぁ……こういう歳の取り方の曲を書けるの、本当にすごい。