
1曲目『I MISS YOU』で、桜井さんは「自分らしさという監獄」を殺したいと叫びました。
その直後に置かれたこの曲を、単なる「大人の応援歌」として聴くのは、あまりに勿体ない。
これは、かつて尾崎豊を歌い「自由」を夢見た少年たちが、30年経って辿り着いた「出口のない迷路」の記録です。
「独りになりたい」という、静かな葛藤
誰にだって 「独りになれたら」と願う そんな時がある 営みの中じゃ何でもない顔をして やり過ごすけど
家族との団らん、職場の責任。
幸せなはずの風景の中で、ふと「独りになりたい」と願ってしまう。
それは、誰かを拒絶したいわけじゃない。
ただ、自分に張り付いた「父親」「夫」「ベテラン」という役割の仮面を剥ぎ取りたいだけなんです。
「何でもない顔」でやり過ごすその裏側で、僕たちは自分の輪郭がすり減っていくような、静かな窒息感を抱えています。
「不平を言わない」のは、大人になったからか?
不平を言わないのは 不満ひとつない訳じゃない
満足しているから黙っているわけじゃない。
言っても仕方のない現実を、嫌というほど知ってしまっただけ。
この沈黙を「成熟」と呼ぶのは簡単ですが、その実態は、感情を殺すことに慣れてしまった「摩耗」に近い。
大切なものを守るために、自分の本音を少しずつ差し出す。
その「痩せ我慢」の積み重ねこそが、僕たちの言う「人生」の正体なのかもしれません。
「自由」という魔法が解けない地獄
自由ってやつは ティーンエイジャーにだけ かかる魔法じゃないはずだろう?
この一節は、希望というより「叫び」です。
30年前、僕らは大人になればもっと自由になれると信じていた。
けれど現実は、責任としがらみの網の目に絡め取られている。
それでもなお、「自由」という言葉に反応してしまう自分。
50歳を過ぎてもまだ「魔法」を信じてしまっている自分のみっともなさ。
桜井さんは、その「あきらめきれなさ」を、自嘲気味に、けれど必死に手放そうとせず歌っています。
4. 「収穫」ではなく、「後始末」の日々
自分で蒔いた種を 拾い集めるだけの日々
普通なら、成功を「実りを刈り取る」と表現します。
けれど彼は「拾い集める」と言った。
これは、華やかな成功の歌ではありません。
若い頃の傲慢さ、見落としてきた綻び、放り出してきた問題……。
過去の自分が散らかした「落とし物」を、腰を屈めて一つひとつ回収していく。
人生の後半戦とは、輝かしい前進ではなく、そんな不格好な「後始末」の連続なのかもしれません。
孤独を知る者同士の、言葉なき「共犯」
孤独の意味を知った友よ 同じ迷路で彷徨う友よ 互いの背中讃えながら 行こう
「頑張れ」なんて言わない。出口があるとも言わない。
ただ、「お前も、あの迷路で苦しんでいるんだな」と、遠くで同じ光景を見ている友を想う。
これは友情というより、戦地で生き残った者同士の「共犯関係」に近い。
大人の孤独は、決して消えません。
でも、同じように泥をすすりながら、不格好な地図を握りしめている奴がどこかにいる。
その気配だけが、この迷路を歩き続ける唯一のガソリンになるんです。
さいごに
『Fifty’s map』。
それは、10代の頃に描いた青い夢を、50代の僕たちが「絶望」と「妥協」というインクで書き直した、ボロボロの地図です。
でも、迷いながら、破れながら、それでも捨てられなかったこの地図のほうが、案外、僕らの真実に近い気がするんです。
1曲目で自分を殺したいと願った男が、2曲目で「それでもまだ、魔法を信じてみたい」と足掻く。
この「矛盾」こそが、アルバム『miss you』が描き出す、僕らの姿そのものです。