
Mr.Childrenの「1999年、夏、沖縄」。
B-SIDE、いわゆるカップリング曲です。
でも僕はこの曲を、かなり自信を持って推したい。
昔、友人や同僚から「ミスチルのベスト盤作ってよ」と頼まれるたびに、MDの最後から3番目あたりに、こそっとこの曲を忍ばせていました。
最後じゃないんです。
最後から3番目。
そろそろ聴く側の油断が出てくる頃に、すっと差し込む。
だいたい返ってくる反応は、「え、これミスチルなの?」でした。
その反応まで込みで、この曲なんですよね。
観光地の裏側にある「痛み」
僕が初めて沖縄に行った時
何となく物悲しく思えたのは
それがまるで日本の縮図であるかのように
アメリカに囲まれていたからです
この曲は、沖縄の美しさをただ歌っているわけではありません。
青い海。
強い日差し。
南国の空気。
普通なら、そういう分かりやすいイメージから始めたくなるところです。
でも桜井さんは、沖縄を見て「綺麗だった」で終わらせない。
そこにある違和感や、歴史の影や、観光地の明るさの裏側にある痛みまで見てしまう。
この始まり方が、まずすごい。
「二、三発の恋」
憂鬱なことは全部夜の海に脱ぎ捨てて
適当に二、三発の恋もしました
この曲を語るうえで避けて通れないのが、あの強烈なフレーズです。
恋を「発」で数える。しかも「適当に」まで乗ってくる。
汗ばんだTシャツ、夜の海、若さの乱暴さ。その全部が一気に立ち上がってくる。
軽い。たしかに軽い。
でも、その軽さの奥に、後からじわっと来る寂しさがある。
名前も付けなかった関係。
ふとした瞬間に思い出してしまう、忘れていいはずだったのに踏むと痛い記憶。
"世界一の酒"は、高級な酒じゃなかった
この曲の中で、いちばん好きな部分があります。
酒の味を覚え始めてからは
いろんなモノを飲み歩きもしました
そして世界一のお酒を見つけました
それは必死で働いた後の酒です
世界一の酒とは何でしょうか。
高級なヴィンテージワインでも、何十年もののウイスキーでもない。 必死で働いた後の酒。
……いや、これなんですよ。
理不尽なことを飲み込んで、納得できないまま頭を下げて、疲れた顔で帰り道を歩く。
今日だけはどうにか走り切った。 その後に飲む仕事帰りの缶ビール一本。
うまいんですよね。
劇的に、うまい。
それは単なるアルコールの味じゃなく、自分が今日を生き延びたことへの小さな祝杯です。
この答えに辿り着いた瞬間、この曲は「スターの歌」ではなくなります。
テレビの向こう側にいる桜井和寿の歌から、僕らの生活の中にある歌になる。
「僕に何が残せるのだろう」──30代の静かな焦燥
この曲の恐ろしいところは、当時の桜井さんがすでに"何者か"だったということです。
ヒット曲も名声もある。
それでも彼は、自分に何が残せるのかと問いかけている。
時の流れは速く もう三十なのだけれど
あぁ僕に何が残せると言うのだろう
30歳前後って、不思議な年齢です。
20代の頃にぼんやり持っていた「まだ何にでもなれる感じ」が、静かに死んでいく。
「君に聞かせたい」──最後に残る、たった一つの純真
この曲は、沖縄の風景から始まり、若さの記憶を通り、仕事や酒や焦りに触れて、最後にある場所へ戻っていきます。
またこの街で歌いたい
君にこの歌を聞かせたい
結局、人間が最後に欲しがるものって、そんなに多くないのかもしれません。
帰りたい場所、会いたい人、伝えたい相手。
25周年のライブで語られていた「いつか消えてしまうと思っていたファンが、今も目の前にいる」という言葉も、このラストに重なります。
歌う人がいて、聴く人がいる。
ただそれだけのことが、実は奇跡みたいなことだったんだと。
おわりに
MDなんてもうほとんど見かけない。
音楽の聴き方も、人とのつながり方も、ずいぶん変わった。
それでも僕らは、相変わらず似たようなことで悩んでいる。
働いて、疲れて、少しだけ報われた気になりたくて、酒を飲む。
そして、どこかで誰かに届いてほしいと思っている。
「あぁ、いつかまた」
そんな言葉を胸の中で小さく呟きながら、また代わり映えのしない明日へ戻っていく。
でも、それも悪くない。
やっぱり名曲です。